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その無垢な「こっぴどい猫」

なんかポロッとツイートしたのを監督にリツイートされちゃったので、140文字じゃなくマジメにキチンと書かねばあかんな、というわけでレビュー入れときます。
SSFの流れで、まずはコッチにレビュー。SSFの方もまだ途中なのに…。みんなのシネマレビューにはいま新規登録要望出したとこ。こちらは誰も見てない世界ですが、向こうなら少しは注目されるんじゃないかと(甘い?)。

まず、SSFの北海道セレクション上映後の舞台あいさつのこと。
この映画に行こうと思ったのはこの時、「Party」の主演だった小宮一葉さんが壇上で本作の宣伝したからなんですね。しかも完全に天井向いて、あさっての方のライトを見ながら。観客は完全に無視で(笑)。
もうSSFの会場挨拶は数十回目にしてるはずだけど、こんな凄い挨拶は今まで見たことなかった。ある意味度胸が必要なんだけど、「Perty」の特殊な作品の性格もあります。(おそらくスタニスラフスキー方で自分を彫琢していった結果の)役作りでそうなったのか、そもそもそういう人なのか、そこをすっごく知りたくなりました。
これが上映初週に蠍座へ足を運んだ何よりの理由です。結論から言うと、小宮一葉の演技はほぼ「Perty」と違わなかったんですけどね。この人でなければ映画が成立しないであろう場面(特にモト冬樹との成り行きジャムセッションとか)がいくつもいくつも出てきて、納得するのと同時にビックリもしてました。

ただ話が進んでいくうちに、主人公高田の長男の演技が面白すぎることに気づいたんですね。髪型とメガネは当然、手足の所在ないブラブラ感や優柔不断なセリフとか、全部が全部初期のウディ・アレンにソックリなんですよ。もう彼が出てくると「バナナ」とか「スリーパー」とかを思い出しちゃって失笑モノです。このアイデア、監督のものか役者さん(名前わからず。善哉)のものかわかんないですけど。超いい味出てました(というかアレンの演技を日本のシチュエーションに「意訳」されたことで、彼の作品に対する見方も少し変わった…ディープ・パープルと「深紫伝説」の関係に近いですね)。
他の役者さんも役をキッチリハンドルしてるからこその長回しの安定感があり、低予算なのに手抜き感がなく、「こりゃバカにできない映画だ」と途中から膝を正した次第。おかげで、小宮一葉のインパクトは相対的に減りましたが。

以下はネタバレ気味で…。
監督について。
監督は「音楽を使わず」「静かな場面」を「固定カメラ」で「長回しする」のが好きな人で、しかもセットはシンプルな内装の部屋が多くいので、画作りは必然的に、驚くほど、ミヒャエル・ハネケに似てきます。緊張しなくていい場面ですら緊張が持続する。もちろんハネケ翁のようないやらしい観客への挑発はないんですけど、もしやったらイケると思う、この人なら。
ハネケ・スタイルであるということは、画面上に現れる伏線が読み取りやすいというコトでもあります。ここで若干想定外にミスリードされた感あり。
沙夜(小宮一葉)が最初に登場するスナックのシーン、彼女が初めて視線を移動させるのが「高田さんの奥さんが死んでから…」というセリフの時。ここで「何かウラのあるキャラだ」と思わずにいられないのが観客ってもんです。まあウラはありまくったわけですが(笑)、オイラはほぼ最後まで「実は高田が不倫した相手にできた娘が復讐を…」という線を考え続けてました。まああのオチの衝撃度を弱めるもんじゃないですが。
沙夜が弾く曲にバッハ(しかも平均律)を使ったのも、彼女の本音がわかるまでは解釈に悩みました。結論としては彼女は常に平常運行のキャラだったわけで。あれは人物の内面をうまく出せてると思いますですはい。

作品について。
この作品の凄かったのは、いろいろ色恋の修羅場をダラダラ~とした空気で見せておきながら、軸に「小説の書けない小説家」というキャラクターを置いて、ラスト数分でそのテーマに全部を集約させるイリュージョンです。やられました。
どの修羅場も「ああ、こりゃ恋愛ドラマってよりは『偽物の恋愛』劇なんだな」という感じで見てました。各キャラクターの立ち位置がしかりしていて、それが変化することを許さない作品姿勢。この作品中で、本質部分の変化が起こる人物はただ一人だけなんですよね。
心が動いてる時にだけ、創作が生まれる。それはおそらく大半の作家にあてはまる真実(シオドア・スタージョンの「時間のかかかる彫刻」の後書きで、恋愛時期と作品執筆時期を比較してたっけ)で、最後に「書ける」ようになった主人公の姿にそれが集約されます。
「不幸でなければ小説は書けない。幸福でなければ小説を書く意味がない」ってな感じ。
同時に、その心理に至るための最後の壁であるキスシーンが、十分に伏線が張られていたにもかかわらず見逃していたので(そりゃ当然だよ!)、見事に数学の問題が解けた感にひたれますな。
エンディングを迎え、エンドクレジットに入ると、沙夜がエレピアノでバッハ弾いてる場面が延々と映る。これが創作のエネルギー源なんだ。これが作家に作品をモノさせる未知の力なんだ。心を動かさないダメ恋愛しかできない奴には感じられない空気なんだ…ってのがよくわかるモト冬樹の目の輝き。
なので、巷でダメ恋愛云々という観点で評価されてるのには、ちょっと物足りない感じがします。本作はそういう恋愛の不毛感と同時に、「本物」の恋愛と、「価値」のある(結果としては)ダメ恋愛も描かれているわけで、その本物の恋愛の不毛感と、ダメ恋愛のダメじゃない感をしみじみ味わうのがいいんだな、と。

最後に、フルメタルジャケットなオープニング(笑)がうまかったですね。
しかもあれが監督本人だったなんて…観ながら、こりゃ体張る役者さんだなぁと思ってましたが。

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