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日本プログラムA。一昨日観たにもかかわらず、力尽きて放ってました。
なので舞台挨拶とか忘れた(笑)。
しっかし今年の日本は弾けたのが少な〜いっ! …まあ『タフガイ2005』に匹敵する弾けっぷりは厳しいかなあ…。
Bの方には『大怪獣ネガドン』級の作品が一本あり。これはテクニック的にも特筆すべき点があるため、マジメにレビューする予定。


『サイレント・レイク』
一人の女性を中心に、湖〜水〜砂漠なんかを背景としたイメージ中心の映像です。これはエコを切り口にした作品ですから、水のイメージは子宮のイメージに連鎖したり(女の子の下腹部へベタに湖のイメージが投射されるんですが)、水の青が空の青にリンクしたりもします。イメージの連鎖は楽しいし美しいけど、5分ではなかなかこれら「環境」というモノの実体に迫れない。記号とその集約方法、ここを見直せば、もっと大きなモノを表現できそうな気もします…。

『ODEKI+』
3DCG。1分以下のベリーショートなコントをつなげた、4分半のオムニバス構成。うかつな行為で毎回おできを潰しちゃって、地獄の痛みを味わう男の…学習効果のない(むしろエスカレートしてる?)スラップスティック。

『貪る食事』
切り絵をデジタルで動かした作品と思われます。原生動物をイメージしたデザインの生物たちが、食うか食われるかの生存競争を繰り広げるオムニバス短編集。内容的にはただそれだけであって、古生物とか原生動物とかの現実からは離れて、奇想的な生命たちを楽しむ「ヴァーチャル弱肉強食」といった内容の作品でした。このあたりの割り切り方が、例えばヤン・シュワンクマイエルの『石のゲーム』(60年代)、イシュ・パテルの『ビーズゲーム』(70年代)なんかとの違いだなあ、と思えます。アニメーションの語源は「生命」。デジタル時代の到来で、アニメもライトに遊べる時代となったのをしみじみ実感します(オッサン世代にとってはな)。

『わたしが沈黙するとき』
この作品…監督が実際に意識してるかどうかは不明なんですが、いわゆるレズビアンものとは違うような気がするんです。主役となる恭子とお相手の利恵は、髪型・体型共にほぼ同じで、互いに『プラークの大学生』的な《影》となっているんす。少なくともオイラはそう解釈して、全く矛盾なく作品全体を理解できた。この二人は互いに、自分で歩みたいけれど歩めない人生を補完しあっている存在で、同性愛というよりは自己愛の変種と言った方がいいでしょう。そう解釈すると本作は「自己探求の物語」へガラリと変貌するし、奥行きがグググッと深くなる。叶えられない自分の夢を切り捨てる時、それが「わたしが沈黙する時」なんですな。うーむ、監督の意見を聞いてみたくなったかな…。

『大地を叩く女』
アメリカにI−D『ビッチ』ありせば、日本に『大地を叩く女』あり。ただ主人公が常時《I−Dビッチ》的、というわけではなくて「冴えない地味な、食肉店従業員」って設定ですが。舞台はつげ義春が大好きそうな寂れた街角。なので映画全体がオフビートなガロ系です。しか〜し! DVを常時受け続けてる主人公ですが、職業柄ロース肉を叩いて伸ばしたり、カッターで薄切りにしたり、日常的に象徴的スプラッタ行為をやってるわけです(この辺、ヘアメイクを暴力に重ねた『エクステ』にすっげェ通じてる)。このファム・ブッチャー・パワー(笑)が、物語の進展につれ徐々に、徐々に強くなって行く。ついに爆発する時には過剰な怒りの表現として日本が巻き添えに…このあたりのエスカレーション具合がとても心地いい、日本によくあるジメジメ系の枠組みに納まらない突き抜けっぷりでした。弾けてしまった後の、エンドクレジットのバックで展開される映像が最強です。

『放課後、エメラルド』
通常のセルアニメ。なんか最近「通常の」って前置しないと旧来のアニメを表現できなくなってきたな…デジタル時代恐るべし。関西弁のキッパリした性格の女の子と、フワフワした影の薄い彼氏。この二人を平凡・日常的なディスカッションによって対比しながら、物語はやがて生と死を見つめる展開へと…って、ああ〜…日本のクリエイターが好きな展開だよなあ。個人的にはもう少しオチをひねって、ステレオタイプを脱して欲しかったです。

『覗』
これは東京藝術大学120周年記念で製作されただけあって、関係各社も商業映画に遜色がない顔ぶれだし、正統な映画になってますよ。インディペンデントの匂いすらしない、ごく普通の意味での傑作。自作の日韓翻訳ソフトを韓国へ売りに来た主人公(ITエンジニアの起業家と推測)。彼は泊まったホテルのテレビで、おかしなチャンネルを見つけた。監視カメラらしいその映像は、なんと彼のいるシングルルームと同じような造りの部屋を俯瞰するものだったんですな。TVの映像の中では、若い女性が室内でたたんずんでいるんですが、それがやがてカメラの方を見つめて、何かを訴えかけて…ビデオカメラ越しの映像、「覗く」者が見返される事で何となく「覗かれてる」ように感じるという逆転。こりゃもー強い禁忌感を催させる展開です。しかし物語は(最初から下地はできてますけど)ホラーの方向へと進み始め、ラストでは観る・観られるの関係が融合する、ありえない空間へと変貌するのです。主人公を韓国で一人ぼっちになった日本人にしたのは、短時間で無理なくホラーの
土台を構築できた点で秀逸でした(今度、自分でも使ってみるか…)。またこれは深読みですけど、この作品は日本の映像作品を意識した韓流、そしてその作品群を受け入れている日本観客の関係に通じています。日韓の関係は、監視カメラによる覗きと、監視対象から見返される事による「覗かれている」という強迫観念を伴っているのかも。どっちの側から見てもね…。

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第三回札幌国際短編映画祭」カテゴリの記事

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