« 反逆の「C」 | トップページ | 勇気+いい加減+捨て身 »

アッシャー家のお祭り騒ぎ

チェコ語以外喋らない…
二度目の『ピンチクリフ・グランプリ』。
金銭的には死亡寸前ですが、パンフ買った…喜八郎の寄稿が最初に載ってたからですが。
表も凄かったですが裏も凄かったです。

パンフには78年の監督インタビューが載っています。インタビュアーは小野耕生。当時も今でも、アメコミ+SF専門の人だと思ってたんだけど、監督に「トルンカ的ルールから外れている」と噛みつき、食い下がってる。今にしてやっと、この人の幅の広さに気付きました。
それに対する監督の答えなんですが、

「チェコスロヴァキアには何度も行って、トルンカのスタジオを尋ねたよ。映画祭で何度も会っている。彼はキングだった。ただ、彼がチェコ語以外をしゃべらないのは残念だ」…(中略)…「みな私の手法とは違うから、それほど興味はなかった。彼らのは、もっとナイーヴ(単純素朴)な人形作りでね、トルンカは、口をひらき目を動かす人形をつかう私の方法は好きじゃなかった。彼の人形は、決して目や口を動かさない。人形はシンプルでナイーヴであるべきだと彼はいっていたから…」

「それは、人形映画はかくあるべきだと、ひとつの考え方にとらわれているからだ。もっとナイーヴで、シンプルであるべきだと。専門家ほど、きみのような意見になる」

今回、かなり指先の演技に注目して鑑賞したんですが、監督の脳裏にある「アンチ・トルンカ」の姿がそこに観えたかなあ。とてもじゃないけどチェコじゃやらない。でも、とても必要性のある指先のこまやかな表情。これは機械職人たちの物語ですからね。
レースシーンでの、計器類の「演技」も凄い。確かにチェコでは無視する部分(『電子頭脳おばあさん』が好例ですな)だけど、スピードメーターは振り切れて壊れてるし、警報ランプが爺さんに無言でOFFされて沈黙する瞬間は相当にグッと来る。そして焦らず急がずの頼もしいクラッチ操作…確かにここでは、アニメの哲学がない。少なくともディズニーでもトルンカでもない。
この映画の主役は人形たちではなく、作中で産み出されるマシーンなんですな。その、機械なりの感情を描いたのは凄いかもしれない。

ただの人工の物体に表情が見えて来る映像作品はいくつかあります。とりあえずシュワンクマイエルは置くとして、『最後の航海』『セブンス コンチネント』『激突!』等々…士郎正宗の『ブラックマジック』も、そうかも。ああキム・ギドクの『うつせみ』もそうだな…。
でも、この被写体に、コマドリという技法がバッチリ似合うという事を言い切ったのは、本作だけじゃないかな。そもそもが人間を志向している人形を動かせば、人間に見えてくるのは当然。でも、機械が機械なりの自己主張をするのにも使えるわけですよね。
言ってみればこの作品は、ピノキオの群れの中にポツンと建ったアッシャー家なのかもしれませんな。イイモノが思い浮かばなくて例えは悪いけど(汗)。

|

« 反逆の「C」 | トップページ | 勇気+いい加減+捨て身 »

映画」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: アッシャー家のお祭り騒ぎ:

« 反逆の「C」 | トップページ | 勇気+いい加減+捨て身 »