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『ピッチブラック』と哲学

Wikiペディアで「コウモリであるというのはどのようなことか」というのを見つけてしまいまして。
これ以外にも関連項目で「哲学的ゾンビ」とかもあって、要するに認知科学と哲学の境界にある思考実験なんですが、これ全部『ピッチブラック』で視覚化されてるなあ。
コウモリ型の異星生命体の視覚から人間を見ちゃう(クリーチャー・デザインのタトプロスがいい仕事してます)とか、人間的な感性を持たない上に常人と感覚器官が事なるリディック(ヴィン・ディーゼル)の存在が、このあたりの問題意識を「ゴルディアスの大チエの輪大会をズバッと斬るアレクサンダー」みたいな壮快さで一刀両断。映画前半の正常じゃない色使いも、クオリア問題自体を意識してるような気がする。
考えてみれば、未踏の異星に降り立つというのは、誰も感じた事のない感覚を得る、誰も見た事のない物を見る、誰も出会った事のない者に出会う、という事なんですな。異星人というのは、その存在自体が哲学的な思考実験なワケで。アクション・アドベンチャーとは言えど、そのへんを空気のように、普通にわかって製作したSFマニアな監督の強みがありそうです。
物語も名作SF…『夜来る』『死の世界1〜3』『アヴァロンの闇』『アヴァロンの戦塵』ほか…を惜しげもなく盛り込んでとても贅沢な造りになってますが、もっとSFの本質的な存在意義「科学が切り捨てた哲学部分の補完」という役目をしっかり果たしてます。

ま、続編はカスらしいけどな(見てない)。

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